葛の花は、現在ダイエットの要素として注目されている素材ですが、実は葛の花という力士もいました。相撲の四股名として採用されたことで、検索するとたまに引っかかってくることがあります。葛の花という力士は、改名したことでこのしこ名に変わり、昭和51年から9年間相撲を取り続けていました。最高位は実はそこまで高くないですが、下のクラスではそれなりに通用していた力士の1人です。

元々は川畑という名称で相撲を取っていた

葛の花という四股名を持っていた力士は、昭和51年に時津風部屋に入門した川畑という人です。この人は当初川畑という本名のまま相撲を取っていて、前相撲から這い上がることになりました。現在の大相撲でも、基本は前相撲が基本となっていて、これに参加しないことには番付に入ることができません。付け出し制度は当時から存在していましたが、そこまでの実績を持っていたわけでもなく、前相撲から序の口に入ることとなりました。

最初の場所は、序の口でも通用していなかったのか、2勝5敗で終わりました。序の口の場合、人数によっては負け越しでも番付が上昇することとなっていたので、このまま序の口筆頭まで上昇します。しかしこの後勝ち越しを取ることができず、序二段に上がったのは4場所目のことでした。序二段に上昇したことで、勝ち越しと負け越しによってかなり番付が変動するようになりましたが、3勝4敗と4勝3敗を繰り返すような形だったため、あまり番付が上昇しないままとなっていました。

序二段の時は、身長は177センチ、体重は92キロとなっていました。これは相撲取りとしてはかなり貧弱といえるもので、特に体重の部分はかなり足りていない状況にあります。昭和の場合は、そこまで体重が重くないと通用しなかったというわけでもありませんが、やはり馬力などの部分では影響が出ていることが多くあり、必要なものとして認識されていました。実際にこの後は体重が増えていくこととなり、それによって番付の上昇も期待されることとなりました。

最高位の三段目に上昇

勝ち負けを繰り返しながら、序二段にずっといた時、昭和53年になって真価を発揮することとなります。70枚目にいた時に6勝1敗の状況を作り出すことに成功し、ついに序二段でもかなり高い位置につけることができました。ここで勝ち越しをすれば、三段目に入ることができるのですが、次の場所は負け越してしまい、また番付を下げることになります。その次の場所は、19枚目で6勝1敗の好成績を上げることに成功し、これが三段目に入る勝ち星として扱われ、三段目の53枚目に番付が乗ることとなります。この次の場所も勝ち越して、三段目の番付を上昇させることに成功しています。

しかし三段目の壁はかなり厚いものがあり、思っていたほどの上昇にならないときが増えていました。この頃には体重が100キロを超えるようになり、身長も少し伸びてきてより相撲取りに近い体型に変わっていきましたが、勝ち越しと負け越しを繰り返してしまい、思っていたほどの上昇が期待されませんでした。それでも番付を上昇させることで、三段目の24枚目まで行くことに成功します。ここで5勝2敗の星を上げたことで、ついに幕下に行くことに成功します。幕下で勝ち続ければ、それは関取のチャンスが生まれてくることになりますが、幕下の東51枚目に入ったこの番付が、葛の花の最高番付として扱われることになりました。

幕下の壁は厚いままに

幕下は、関取になる力士が多いとされているので、結果的に厳しい星になってしまいました。幕下で勝ち越しをすることは1度もなく、三段目と幕下を行ったり来たりの状態が作られていました。この状況では何とかすることがかなり難しいと判断されていたため、より増量することになり、体重は122キロまで増えていました。これくらいの体重があれば、通用するだろうと思われていたのかもしれません。

しかし幕下に何度か上がりましたが、全てその場所で負け越しをして三段目に下がり、結果的に三段目でも負け越しが出てしまったことで、昭和60年に引退することとなりました。昭和60年の5月場所を最後に引退しており、葛の花は相撲の力士から登録を外れることになりました。最後の場所は勝ち越しを決めており、引退に華を添えています。

これ以降、葛の花という四股名を利用している力士は出ていませんので、2代目葛の花が出て来る可能性は当然あります。ただ現代では、よりかっこよさを考えて四股名を付けることが多いですし、葛の花という商品が生まれていることはわかっているので、ダイエットに使われている葛の花を四股名にすることは難しいのかもしれません。もし2代目の人が出てくれれば、ぜひ幕下よりも上に上がってくれることを期待したいですし、ある程度高いところまで行ってくれればより葛の花の認知も進むのではないかと思います。